風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

華麗なるギャツビー


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名作と呼ばれるものを見てみよう、という長い終活のひとつ、有名な映画を拾いながら見ている。「華麗なるギャツビー」は1920年代の大恐慌の直前の浮かれている米国の中で、超浮かれているように見えるギャツビーが唯一思い通りにならず、そうしてたったひとつそれだけを願っていた、好きだった女とまた愛し合いたい、という夢をおいかけていた話だ。それをギャツビー邸の隣に住んでいる小説家の視点から、客観的に一歩離れたところから描いている。ギャッツビーはめちゃくちゃ奇人だという映画の中の評判に対して、小説家の彼だけがギャツビーの純粋でまっすぐな気持ちに心を打たれ、「彼だけがまともだ」と最後には語る。

若い野心的な金持ちを演じたらこの人、というレオナルドデカプリオがその魅力を存分に発揮。ギャッビーはこんな感じだったのかも、という説得力が充満している。

サイダーハウスルールに出ていた、トビーマクガイヤーが小説家を演じる。彼のちょっと世間に溶け込めないようなたたずまいが映画の雰囲気と合っている。

 

俺に言わせるとこれも

「戦争さえなければ」

系の映画のひとつ。戦争さえなければギャツビーは映画のような人生をたどることはなく、たぶん、もっと幸せだったのではないかと思う。

この翌日に見た「ひまわり」が思い切りそういう作品だったので、なんだか似たような構造の全然違う味付けの2つの映画を見てしまったなと思ったのだった。