株の流儀が違う話を書いたが、人や物を見るときの流儀もツマとオレはかなり違っていて、オレの方が、肯定的に性善説で人を見る傾向が強い。ツマは懐疑的で用心深く、どちらかというと性悪説なんじゃないだろうか。
どちらがいいとか悪いとかそういう話を書くつもりはない。性格ってなかなか変えられないので、そういう優劣を書いても変えられないのだから意味がない。それに優劣なんてなかなかつけられないし。
オレは、だから人がいいとか甘いんだとかツマにも呆れられるし、会社でも言われたりする。ツマはそういうことはないけれど、オレよりも緊張して暮らしているだろうから、ちょくちょく肩が凝ったりする。頭痛になりやすいのもこのせいかもしらん。どっちもどっちだと思う。
ツマがすごく怒っていることについても、何を怒っているのか、なかなかわからないことがある。話を聞いても感覚としてシンクロできないこともある。
オレの尊敬する大愚和尚も、妻の目線ではぜんぜん偉くなくなる。それどころか悪口まで言ったりする。見え方がまるで違うらしい。
こういう性格の違いは自然に相手に共感しにくくするので、どうしても夫婦の盛り上がりをいまひとつにしてしまう。相手を物足りなく思うことも出てくる。
一方で、こういう性格の違いは照らす世界の広さにつながることもある。
同じことを人に言われても、あ、意外といい人だったのかも、と、思うオレに対して、そんな甘い言葉で騙そうとしてもダメだ、と引き続きなんなら更に警戒するツマとでとらえ方が違う。
ものごとのとらえ方が全然違う人と暮らすと、そういうものの見方もあるのか、と勉強になることは多めではある。