風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

幻の湯けむりの庄

少し雪が降った。雪見風呂も良いかなと、宮前平駅にある、湯けむりの庄という施設に行こうか、起きた時に迷ったのだが、息子を学校に送ったあとで布団に入ってしまった。目覚めた時には開店の時刻には間に合わなそうだったのと、雪も降り止んでいて少し興醒めした。

問題なのは、湯けむりの庄まで行ったからにはリフレッシュしないといけないな、という頭がどうやらオレにはあって、リフレッシュできなかったらどうしようという気色悪い不安感が体を重くするのだった。なんだろう、この、誰にも感じなくていいはずの責任感のようなものは?

この、XXしなくちゃ、という使命感なのか責任感なのかよくわからない意識のせいでオレは今ひとつのびのびできないんだよな、と布団の中で思った。これがあるから上手くいったことも、これまでにはたくさんあるとは思うのだけれど。責任を取ろうというオーナーシップをもって取り組むことは、それならではの楽しみもあるけれど。

 

Youtubeを見ると、責任感を感じるのは良いことだが、物事の結果に責任を感じるのは病気のもとだとメンタルヘルスの人が言っていた。

なるほどな、と。

上長は、結果に責任を取らせるようなことを書いてきたので、書いてくるので、もともと責任感を重めに感じている自分には、それが重量オーバーだったんだよなと布団の中で思った。「結果はオレが責任取るから、力を出しきってくれと」いってもらえていたら、こんな風にへし折れずに済んだのかもな、と思った。

 

スパゲッティミートソースを作って家族3人で食べた。まだ湯けむりの庄にいくかどうか迷ったのだが、午後からではなくて午前から行ってたっぷり満喫しよう、と思い直した。出かけないで家で療養コースを選択。そしてまた浴室を真っ暗にしてハワイアンを聞きながら風呂に入って、リラックス空間を作る。

窓を開けると冷たい空気が流れてくる。

風呂でほてった体をその空気にさらすと、露天風呂でデッキチェアーに座っているときとよく似た心地よさが味わえる。サウナの、整う、もこれと同じ原理なのか?

もういいや、もういいよ、と、疲れが身体の奥から出てきて思考がどんどんと黒く塗られていく。