誰もがびっくりしたと思うが、自分もびっくりした。テレビでよく見ている人が撃たれて殺される、なんてことがあるとは。
選挙の応援演説で遊説しているところを背中側から撃たれたらしい。
守っていたSPや警察は面目丸つぶれであるが、元総理大臣を遊説中に銃で殺そうとする人がいるかもしれない、と想像する力がある人がいただろうか?俺はみじんもそんなことを考えたことがなかった。自分に到底想像できなかったことを、人に想像しろよと責めるのは潔くないと思う。逆に自分に想像できることを、備えるべき役職の人が何もしていないと「バカか?」と思うけれども。なので、今回の場合は俺としては人を責める気にはなれない。
安倍晋三は、自民党政権の維持に尽力していて、当たり障りのない政策を続けていたので、大変な長期政権となった。結果的には、少子高齢化にも、貧富の差の解消にも、あまり成果を残せなかった。
人を動かすのが「政治」で、そのためには政権がなくては何もできない。なので政権を維持するために投票してもらう。そのために国民の声を聞く、という順序で自民党は動いている。選挙権の多くある世代の声を優先することで政権を維持する原理になるので、若い人や、弱い人、そういう人たちの声は後回しになる。
それで恨む人が出てきたとするなら、若い人たちのことや弱い人たちのことを守り勇気づけるような政治家を、選挙権を多く持つ世代が選ばないことがいけない。
人間という生き物が「自分が何より大事」と考えてしまうことについて腹を立てているようなものだと思う。それに憤慨するするのなら、宗教家にでもなってそれをなんとかするしかなかろう。
67歳の若さで殺されることになった安倍晋三さん。どういう動機で殺されたのかは分からないけれど、その動機の原因は、安倍晋三さんが自分の意思でやったことなのかどうか。政権を維持するためにやったことで人に恨みを買って殺されてしまったのではないか、と自分には思われていて、なんだかその辺が気の毒だ。
恨みで殺されるなら私怨の方がいい。
組織のために、組織を代表してやったことで、誰かに恨まれて殺されるのはなんだか死ぬときにも釈然としないような気がする。
長いこと「日本をよくするため」に頑張ってくれた人に黙祷を捧げたい。